被災地の方々の声

東日本大震災からや1ヶ月半、プロジェクト絆スタッフが現地へ訪問し、
実際に東北地方太平洋沖地震を体験した方々にお話をお聞きしました。

利府町在住 26歳 女性
3/11から1ヶ月が経ち、私の周りは大分落ち着きを取り戻しています。
コンビニなど数店舗ですが、24時間営業をしているところがあるので助かっていますが、
夜になると灯りが少ないせいか心細さがあります。

私の親戚が石巻市大街道に住んでおり、先日片付けの手伝いをしてきたのですが、
泥を取ったり海水を含んだ物を出したりするのは本当に大変でした。

みなさん精神的にかなり疲れており、不安感が抜けないそうです。
被害がひどい所はまだまだ復旧には時間がかかりそうです。

また、どちらかの知事は色々言っておられますが、
現地の人の気持ちとしては気晴らしが出来るところがないので、変に自粛されても逆効果です。
今は非現実を味わえるところが必要だから。

実際、パチンコ店に普段は行かない人が立ち寄ってただ見ていたり、店員さんと話したりしていると聞きました。
自動販売機も物凄く助かっています。
コンビニもやっていないとき、唯一飲み物が買える。
買いたい時に、必要なときに買えない時の気持ちほど不安なことはありません。

全体的に、灯りがなく頑張ろうという気持ちが沈みます。

先日、4/9に震度6弱の地震がありました。もう大きい地震は来ないと思っていたのに…
前兆もなく突然ドン!と縦揺れがはじまり、またもや家の中はぐちゃぐちゃに。
フラッシュバックし、体の震えが止まりませんでした。もうあんな思いはしたくない。
最近は余震があるたびに怖くなります。
未だ、避難所生活を送られている方はもっと怯えているはず。
被害が少なかった私たちに今出来ること、まだまだ終わっていない震災被害状況・生活状況を伝えること。
そこから何ができるか、何が必要かをみんなで考えていくことだと思います。

みなさんの手助けが必要だということを忘れないで下さい。
被災地に目を向けてください。
お願いします。
登米市在住 19歳 男性
先日一ヶ月ぶりにガスが復旧し、完全ではありませんがやっと普段の生活に戻ってきました。
自宅の被害としては、家電が落ちて壊れた程度でしたが、震災直後の食料不足や水不足は非常に辛いものがありました。
これまで自分がどれだけ贅沢な生活をしていたのかと痛感し、水や食べ物のありがたみがとてもよく分かりました。
失うものがとても多過ぎる震災でしたが、この経験を忘れずにこれからは生活していきたいと思っています。
仙台市若林区在住 40歳 女性
地震直後、仙台市内は停電し、外には不安な表情で立ちすくむ多くの人。
携帯電話もつながらず、テレビには沿岸地区を襲う津波の中継。
全てのライフラインが機能を停止し、初めて体験する大震災に「不安」という言葉しか頭に浮かびませんでした。
きっと、自分一人の力では、あの時の状況を乗り越える事は出来なかったのではないでしょうか。
周りの方々の支えがどんなに大きなものか実感しました。

あの日から1ヶ月あまり。
今、復興に向けて自分に何が出来るのかを考え、一日一日を大切に生きています。
古川市在住 32歳 男性
3月11日、震災時は宮城県東松島市にいた。
何かに掴まっていないと立っていられない程の大きな揺れ。
目の前の国道は陥没して行き、近くの建物は天井が落ち、窓ガラスが割れ、たくさんの人達の悲鳴が聞こえた。
生まれて初めて経験した大地震だった。

その後、自分が立っていた場所は津波に襲われた。道路を逆走し何とか高台に逃げた。
高台から見下ろす景色は悲惨なものだった。
黒い波が流木から車から色んなものを巻き込みながら町を進んでいく。
あまりにも衝撃的な出来事だった。

あれから1ヶ月が過ぎるが、毎日昼夜問わず余震が未だに数多く発生している。
中には余震とは思えない程大きな地震もある。
幸い家族や親戚は皆無事だった。
ただ親戚が住む町は沿岸部で津波の被害が大きく家を完全に失った家族もいる。避難所や親戚と一緒に暮らしている。
自分も地元に帰りたかったがガソリンも不足し、道路も通れずなかなか帰れずにいた。
地元に戻ったのは2週間後だった。18年間産まれ育った町の変わり果てように車を運転しながら自然と涙した。

ただ一番驚いたのは祖母や親戚達の元気な笑顔だった。
震災から1週間は自分の家や町を見れば毎日泣いていたそうだが、自分が訪れた時には
「しょうがないよ、今出来る事を毎日少しずつやるしかない」と言って、津波で建物だけが残った家の中を片付けていた。
電気や水道の復旧は何ヵ月も先のなか元気に過ごしていた。逆に自分の方が元気をもらった。
家も仕事も失った人達はたくさんいる。自分は家も仕事もある。
今出来る事を考えると節電やボランティアも大事だとは思うが自分は仕事をして普通の生活に戻す事が今自分の出来る事だと思う。
被害の大きかった町は元に戻るまで何年、何十年と掛かると思うがいつかまた皆が心から笑って元の暮らしが出来るまで、
今自分の出来る事をして生きたいと思う。
仙台市青葉区在住 20歳 男性
仙台はだいぶ物流も良くなり生活しやすくなりましたが、少し車で走ると津波の被害が甚大な地域に入ります。
家や家族を無くした方々のことを考えると胸が痛みます。
国に頼るのではなく、自分含め皆一人一人が街の復旧の為に努力することが大切なのだと思います。 日本の力を信じてる。
仙台市青葉区在住 24歳 男性
仕事中で福島で地震にあったのですが、信号も止まり、仙台に帰ってくるまでに7時間くらいかかりました。
ライフラインも全て止まり、不便な生活を強いられました。
大学の時の友人も津波に流されたようで遺体で発見されるなど、心身共に疲れました。
自分も被災者ですが、沿岸部の方はもっと辛い経験をしています。
これからは微力ながら、自分ができる事をして、復興の役に立てればと思っています。
仙台市若林区在住 36歳 女性
3月11日、仕事中に被災。
会社でパソコン操作中、激しい揺れが襲い周囲の物をなぎ倒し数秒後に停電。
後日、作業中だったデータは震災時の14:46で保存されていました。

被災して一週間。自宅のライフラインが絶たれていたため、友人宅で非難生活を送りました。
食料を買うのに長蛇の列に並ぶ毎日が続き、後日入店した際、棚に商品が沢山並べられている光景を見て嬉しさで涙があふれました。

現在、自分は普通に生活が送れています。
しかし、ボランティアで行った避難所では、今だ沿岸域に家を持っていた人達が生活をしています。
さらに福島県の沿岸域周辺は原発によりヒドイ状態が続き、風評被害の話を聞くと不安がつのります。
自分も福島人であり、地元には家族も友達もいます。今後、地元がどうなるのかを考えると今だ恐怖が拭えません。

しかし、そんな中募金活動をしている人達の姿をテレビで見るととても勇気付けられます。
応援されてる、支えられてると思うと何もせずにはいられない気持ちになります。
だから、自分にできることから少しずつ行動しようと思います。

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